8時半には気絶する様に寝て、5時半に起床して社員寮の前を流れる鴨川河川敷の
早朝散歩&撮影に出掛けました。天気は凄く微妙で、天気予報では曇りですが、
朝起きたら、雨が降っているじゃないですか!でも、暫くしたら雨は上がりラッキー!

■下駄は止めて(歩きにくい)スニーカーで。何か不安定な天気です(汗)


■これが部屋から見える巨大な桜の樹です!

■河川敷の上を歩いていると、白とピンクが共存じている梅を発見。
時々、こういう梅咲いてます。しかし、横浜より寒いのでしょう京都は。
まだ梅が咲いています。この周辺は京都でも北で、上加茂神社に近いからかな?

■しかし、対岸の桜も凄く見事に咲いています。向こうに見える山は「大文字」です。


■目の高さに桜があるので撮影しました。ちょっとヒンヤリした空気ですが、
早朝なんで、とっても気持ちが良いです!桜メチャクチャ綺麗だし!



■川の近くに降りると鳥達もいます。絵になります!

■鴨川の鴨。

■北の空から曇って来て、雨が当たって来ました。何か変な天気です。
青空出たり、陽が差しながら雨が降ったり。これが2日目1日中続くとは(汗)

■でも、折角、桜の京都に来たので雨の少々は気にしません。
昨日は、大事な目的地「醍醐の桜」を見れなかったので、2番目に必見の
「哲学の道」の桜を一番に目指します。昨日は駐車場満杯だったし(汗)
ラッキーにも「哲学の道」の南側の入口の「熊野若王子神社」近くのコインPが、
1台分だけ空いていました\(^^)/
で、到着して「哲学の道」〜法然上人由の「法然院」を目指します。僕は初めて。

■「哲学の道」をロングで歩くのは初めてですが、桜のトンネルみたいです!綺麗\(^^)/



■桜を楽しみながら歩いているので距離はあまり感じませんでしたが、
2km位歩いて「法然院」に到着です。渋い!

■渋い茅葺きの山門です。俗界との空気を断つ禅宗の方式だそうです。

■中は、浄土を表現する独特の庭園があります。


■本堂に着きました。兎に角静かで心が洗われる感じです。

■渡り廊下。

■この寺院はとっても落ち着いていて、法然上人の考えが伝わってくる感じです。
日陰が多く、寒いのか、椿が凄く綺麗です。桜はありません。


■「法然院」は浄土宗霊場の1つですが、何か「知恩院」とも違った
法然上人を身近で感じる事ができた様な気がしました。
「哲学の道」を駐車場まで戻り、まだ行った事のない「大本山・妙心寺」へ向かいました。

■ここは巨大な総本山で、塔頭(寺院内寺院)が一体どの位あるのでしょう?
まるでお寺の町です。社員寮の近くの秀吉が制定した寺町より遥かに巨大です。

■本堂です。中は見学できませんでした。

■そして、妙心寺から京都に来たら行かなくてはならない秀吉が祀られている
「豊国神社」へ。ここも桜が綺麗です。


■山門ですが、秀吉が造った「聚楽台」の門を移築したとの事です。
何か、太閤秀吉の栄華を残している様な感じがします。秀吉時代の城は、
基本、黒城ですから。そんな感じがしました。


■そして隣の「方広寺」へ。このお寺は秀吉が築いた時には「三十三間道」までの
広さだったらしいです。現に「三十三間堂」の一番奥には「太閤塀」が残っています。
また、奈良の大仏より巨大な大仏もあった様です。徳川の天下で取り壊され、
一部が「報徳神社」として秀吉は祀られた様です。大仏が現存していたら、
それは凄い京都の名物として現在にも伝わっていたでしょう。
また。。。。「大阪冬の陣」のきっかけとなった・・・・
「慶長19年(1614)の方広寺鐘銘事件です。これは、豊臣家が再建を進めていた方広寺の鐘に「国家安康、君臣豊楽」と銘が刻まれていたことに家康がいちゃもんをつけたことがきっかけとなります。国家安康は家康の字を切り離し、徳川家を呪い豊臣家の繁栄を願う下心が見えると難癖をつけ、豊臣家を挑発するのです。」
この鐘突堂が、現在の「方広寺」に存在しています。「国家安康、君臣豊楽」の
文字も確認する事ができます。


■白く塗られた部分が「国家安康、君臣豊楽」です。この鐘は日本で一番
大きく、今でも除夜の鐘として鳴らされているそうです。

■方広寺の桜も凄く立派で綺麗です。

■20年以上前に一度御参りした事があるのですが、久しぶりに「秀吉廟」に
御参りに行く事にしました。京都女子大の裏にある「阿弥陀ヶ峰」の山頂です。
手前まで車で行く事ができます。ここは「秀吉廟」の入口の手前です。桜綺麗です。


■廟の入口です。参拝料は¥100です。参拝に訪れる人も少ない様です。

■ここからは「阿弥陀ヶ峰」の頂上まで急な階段が真っ直ぐ500段以上です(汗)

■真っ直ぐ急な約300段を上がって行くのですが、途中、何回も休まないと(汗)
で、やっと到着したと思うと、そこから更に急階段が200段位あります(汗)
山の頂上まで真っ直ぐな階段とは凄い事だと思います。


■ヘトヘトになりながら階段を上がっていくと、やっと秀吉廟の桜が見えました。

■今回は久々にデジタル一眼レフでの撮影でしたが、ミラーレス一眼と比べて重い事(涙)
で、20年振り位に廟に到着です。やはり、間違い無く歳のせいか?苦しかったです(汗)

■お墓の周りは、桜が植樹されえいて、寂しい中にも綺麗です。

■京都の街が一望です。

■参拝を済ませ脚がガクガクなんですが、この急階段の下りはちょっと怖い((((;゚Д゚))))

■63歳で秀吉は亡くなったのですが、この「阿弥陀ヶ峰」への埋葬は遺言でした。
「阿弥陀ヶ峰」は昔から天皇・皇族が祀られている山だったみたいです。
遺言でお墓ができたのですが、徳川の天下になり、参道を塞ぐ目的で、
徳川家が「新日吉神社」を参道の途中に建立したとの事です。
が、明治41年に「豊国会」によって秀吉廟が再建されたとの事です。

■この秀吉廟を参拝しただけで、脹脛と太腿が筋肉痛になりました。
京都に来ると、良く歩くし運動になります( ´▽`)
最後は、社員寮の近くにある寺町の「阿弥陀寺」へ。目的は勿論、
信長の本当のお墓と云われるお墓に参拝する事です。
「清玉上人」の興したお寺で、信長に関しては「本能寺の変」の後の曰く付きのお寺です。

■信長のお墓。

■横には信長の小姓だった「森蘭丸」他兄弟のお墓もあります。

■「清玉上人」のお墓。

■「阿弥陀寺」は元々は、ここ寺町では無く、「清玉上人」は織田信長と親しい関係で、
「本能寺の変」の時に真っ先に現場に駆けつけました。信長は自分の遺体を残すな!
と命令して自決し、部下が火葬をして荼毘に臥していた遺骨を「清玉上人」
が、本能寺から他の部下の遺骨と共に運び出し、当時の「阿弥陀寺」に
埋葬したと云う事です。
この噂を知った秀吉は、大徳寺で天下人として信長の葬儀をする為に「清玉上人」に
遺骨を差し出すように迫りましたが「清玉上人」は遺骨の埋葬場所を言わず知らぬ存ぜぬを通しました。
秀吉の配下が当時の「阿弥陀寺」の敷地を掘り起こしたそうです。それでも見つからず、
秀吉は大徳寺の葬式を、木で遺骨の代わりにした様です。次の天下人として、
大徳寺の中に塔頭で、信長を供養する「総見院」を建立して、面目を立てた様です。
そして、「清玉上人」に対する怒りから「阿弥陀寺」の広大な寺領を取り上げ、
今の寺町に大幅に寺領を小さくして移設させたそうです。
なので、「清玉上人」が隠していた信長や配下の遺骨は「阿弥陀寺」にあり、
もしかしたら、「阿弥陀寺」の信長他のお墓は本当のお墓の可能性が高いのです。

■阿弥陀寺で参拝して社員寮に帰りましたが、何かクタクタです(汗)
早めにお風呂に入り夕食は直ぐでした。

■今日も、お刺身盛り合わせで日本酒の冷酒です\(^^)/
昨夜とは、お刺身のネタは全然違います。赤貝、鯵があります!
■最後の日は祇園で「黒胡椒」と「京漬物」を購入して横浜に帰りました。

■途中、名神高速で事故渋滞がありましたが、やはり夜中走行より
昼間の走行の方が気持ち良いですね♪

■勿論、残り1点、11月までなんで法定・燃費走行で帰りました。
しかし、前から憧れていた「京都の花見・桜」でしたが、京都は何と桜が多くて素晴らしいのでしょうか!
期待以上の「お花見」をする事できて、凄く嬉しかったです。
桜の季節に行った事が無かったので分かりませんでしたが、
あんな立派な桜が部屋から見えるとは!
夜もお酒を飲みながら夜桜も満喫できて、久々の京都最高でした\(^^)/

■燃費走行は、京都の市内も走って走行981Kmで平均9.0Km/Lでした。
M3でこの燃費は合格でしょう!けど、M3らしい走りはどうかな?(涙)

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