■3日目の朝は、早朝鴨川撮影散歩に朝5時に起きて6時に
出発しました。って、社員寮の前が鴨川なので。
いつもは毎朝の行事なのですが、昨日は、5時に起床したのですが、
久々の雨で中止にしました。
今朝は朝から晴れで気持の良い朝のなのでデジタル1眼レフを
持って社員寮を出発しました。
■社員寮の前は直ぐ鴨川です。
反対側に橋で渡らないと強烈な逆光になってしまいます。
■鴨川の流れはいつも勢いがあります。
■鶴が来ています。鴨川の水は綺麗です。
■川沿いの道を散歩していると花が。何という名前か分かりません。
僕は黄色が好きなので反応してしまいました。
■京都の比較的北方面は、気温が低いのか、菜の花が満開です。
関東ではもっと早かったですが。
■1時間半程散歩をして、8時から朝食です。
良い空気を吸って散歩したので朝食が美味しかったです。
今日は横浜に帰るのですが、まだまだ京都探索です。
近くにある寺町通りに昨年も訪れた「阿弥陀寺」があるので、
黙って帰る訳にはいきません。
昨年も訪問したのですが、ここは、信長の織田家と京都において
長らく親しかった開祖・清玉上人が「本能寺の変」の時に、いち早く
駆けつけ信長、信忠、織田軍の武将や侍の遺体を持ち帰って、
当時の本堂の庭に埋葬し、本当の信長の遺骨があるお寺と
言われています。
■清玉上人は信長の遺体を持ち帰った事で、時の天下人の
権威を盤石にしようとした秀吉から大徳寺での信長の葬儀に
遺骨を必要として提出を求められましたが、断じて応じず、
秀吉より迫害を受けました。
信長に重用されていた時は蓮台野の広大な敷地の寺院でしたが。
信長の遺骨を提出しなかった事で、その地を取り上げられ、
信長の死後5年目に(天正15年)に、秀吉の寺院令によって現在の「寺町通」に移管されました。
■僕はあの秀吉の当時の弾圧に屈しなかった「清玉上人」の
信念から、阿弥陀寺の織田家のお墓には絶対に信長の遺骨が
あると信じています。
阿弥陀寺開祖、清玉上人のお墓。
■信長・信忠のお墓。
■近習、森蘭丸他のお墓。
■信長のお墓にお参りの後に去年発見できなかった「リアル本能寺」
の史跡探索に。
去年、発見できなかったのは「本能寺小学校」を探していたからです。
実はもうありません。今年は研究し直し発見できました。
■この標を中心に本能寺だった様です。
ここで信長が果てたと思うと、感慨ひとしおです。
現在はこんな感じです。
■去年、発見できなかったリアル「本能寺」を確認して、久々に
やはり世界遺産「銀閣寺」へ向かいました。
銀閣寺は金閣寺を創った足利義満の孫の義政が、おじいさんに
習って創建した別宅です。義政の死後、同じ様に禅寺になりました。
受付で拝観料を支払い入ると、いきなり銀閣寺が間近に。
■金閣寺は黄金で雅で美しいのですが、最近に至っても塗装を
してメインテナンスしている感じがしました。
しかしながら、銀閣寺は昔からの渋さがあり素晴らしいです。
まさに「侘び」と「寂」と対象的な世界遺産です。
■銀沙灘という盛砂です。まるで現代アートの様です。
■向月台は円錐状に砂が盛られ、上部が平面になっています。
月を愛でる為の物だそうです。
■庭園を巡って行くと、山の中腹から銀閣が見えます。
新緑とマッチして渋いです。
■やはり有名な人気のお寺です。参道は賑わっていました。
■銀閣寺の前には「哲学の道」がありました。
初めて見ましたが時間があったらゆっくり歩いて、寺院巡りも
良い感じです。
■銀閣寺を後にして、陰陽師で有名な「阿倍清明」が祀られている
「清明神社」へ向かいました。
■この地は千利休が居を構えていた所なんですね。
ここで、秀吉の命で自決した地です。
その後は、阿倍清明の居住地だった様です。
■本堂にお参り。
■千利休が茶湯に用いた井戸です。秀吉や他の武将もこの地で
千利休に茶を振る舞われたのでしょうか
■京都の妖怪や怨霊と闘っていた人の神社なんで、珍しい
黒い厄除けのお守りを購入しました。
■清明神社を後にして伏見に向かい横浜へ戻ります。
今回は、昔見た事がある世界遺産とかを巡ってみようと
テーマを決めましたが、前回の記憶は全く無く、新鮮な
京都旅行になりました。
浄土宗・「法然上人の生誕800年祭」にお袋が行ってみたい。
と、言う事も叶えられ、一足早い「母の日」の親孝行です。
っても、年に1度だけしかですが(汗)
普段は喧嘩ばかりで・・・・
今回はガソリンが高い、、お袋も同乗なので大経済走行をしようと
1000Km以上走行で結果は以下の通りです。
結構満足
楽しかったです。
しかし、お高いから社員寮が抽選で当たらないと
中々、いけません。
しかし、前半は京都で後半は碌な事してません(汗)
お金も無いし・・・
GWつまらなかったの?