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■前の日に睡眠不足と歩き過ぎと日本酒飲み過ぎで8時に就寝しました。

8時間半一度も起きずに、朝5時に気持ち良く起床しました。

朝食は8時〜なんで3時間もあります(汗)
そこで去年もですが、今年も社員寮の前にある鴨川を散歩しました。

関西は夜が明けるのが関東よりも若干遅く、6時半に寮をでました。

まだ、夜が明けたばかりの空と涼しい空気です。
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■スニーカーではなく、社員寮の下駄で出かけました。
下駄の方が何となく風情があるかな?何て思っちゃって(爆)
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■朝から整備された河べりの道をジョギングをしたり散歩をしている人達が一杯います。
皆さん、まだ涼しい鴨川の朝を楽しんでいる様です。
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■鴨川には色々な鳥が来ています。東京ではこんなに鳥を落ち着いて見た事ないです。
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■手前の寮から近い橋から、遠い橋まで1時間以上散歩しました。
東京・横浜で生活している僕には、こんな時しか朝早くの散歩なんて休みでもないです。

そして遠い方の橋に辿りついて写真を撮っていると、橋の上から散歩の人達が
何かを見ています。

なんじゃ、これ〜
ねずみの化け物みたいに大きな動物が、河の中を悠々と泳いでいます。

そういえば、TVで外来のペットが捨てられている番組を見ましたが、
鼠の化け物みたいなのを見た様な気がしました。

鴨川にもこんなん、居るのですね(汗)
写真では大きさが分かりづらいですが、かなり大きく異様でした
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■遠い方の橋から社員寮に折り返した時に、こんな看板を見かけました。
何と社員寮の前の鴨川沿いの道は「上鴨神社」の参道だったのですね。
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■そして、朝食です。日本の朝食
って言う感じで、僕は普段は朝食は食べないのですが、
ストレスレスだからでしょうか、散歩のせいでしょうか?
2杯も朝からご飯を食べました
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■そして、本日は単純に前から見てみたかった所からスタートです。
「嵐山」は前にも行った事があるのですが、前回は「天龍寺」の雲龍図とか竹林には
行かなかったので、是非、見に行こうと。
定番の「渡月橋」です。去年も写した様な(汗
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■この風景が嵐山です。
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「天龍寺」に向かいました。繁華街の中なんですね
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■本堂へ向かう途中に蓮の池がありました。
本当に京都のこの季節は蓮の花が綺麗です。
僕は大好きです。
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■天龍寺の本堂です。
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■本堂の中の襖には青龍がありますが、保護の為に透明なガラスがあり、
見物の方達が写ってしまいました(泣
撮影している自分も写ってます(汗
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■庭園が有名らしいです。確かに綺麗でした。
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■そして、本堂を出てお目当ての法堂の加山又造画伯「雲龍図」を見に行きました。
天井に描かれた青龍は迫力があり素晴らしかったのですが、
撮影禁止でした(涙
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■天龍寺を出て竹林道へ向かいました。
観光本に良く出ていたので一度行ってみたかった所です。
竹林へ向かう途中に可愛い4体のお地蔵さんが、
道沿いにいらっしゃいました。
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■こちらは大変に綺麗なお顔をしている観音様の様な
お地蔵様です。
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■中々、涼しい涼がある所ですが、歩き過ぎて汗だくになりました。
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■嵐山を後にして、日本の四大怨霊の一人である、菅原道真公を祀ってある
「北野天満宮」に向かいました。
菅原公は学問の神様として有名ですが、実は凄い切れ者で、
朝廷の政権内で鋭すぎる意見を言って、他の朝廷家臣から疎まれ、
謀略にあって太宰府へ流されて亡くなった為、
当時の政権が怨霊を鎮める為に建立した神社です。

しかし僕の目的は2つありました。1つは秀吉が一般市民まで召集を掛けた
「北野大茶湯」
催した北野の森がある事。

で、ビックリしたのですが、北野天満宮の駐車場が、その大茶湯を催した北野の森
そこだったのです。
これは意外と言うか、拍子抜けをしました。
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■北野天満宮の御門です。立派です。
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■本堂でお参りをした後に、北野天満宮訪問の
第2の目的を探します。
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■北野天満宮訪問の第2の目的は、秀吉が都市整備の一貫として造った
「御土居」が今もはっきりと残っているからです。

「御土居」とは、秀吉が京都の都を外敵と鴨川の反乱から守る為に
高さ5メートル幅10メートル前後の土塁(堤)を24キロに渡り
造った物です。洛中、洛外と区別される様になったとか。

差別とかが助長されなかったんですかね?
僕の個人的な見解ですけど

その「御土居」が北野天満宮の裏手に原型に近く残っているというので
秀吉の強い都市政策の意志を見てみたい。と、思っていました。

ありました本堂裏です。
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■僕のつたない説明より、由来看板を見て貰った方が早いかと。
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■早速、「御土居」に上がってみました。
明らかに人的に土塁(堤)が造られているのを感じました。
「御土居」は幅10メートル位です。
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■これだけでは高さが検証できないので、
御土居の横に廻ってみました。明らかに人工的な造りです。
何人の人が24キロもの御土居工事に関わった事でしょう
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■御土居で秀吉と言うか、当時の権力者の凄まじい強大な権力と政策に感動し
夕方になってしまいましたが、今回の京都探索の大課題の「寺町通り」に向かいました。

って、社員寮から500メートル位の近所なんですが。

寺町はこれも秀吉の都市政策で寺院が纏められたエリアです。

しかし、鴨川上流の洛北です。
移動させられたお寺とは、どの様な基準で選考されたのでしょうか?

大徳寺の様に落ちぶれた寺院が時の権力者に
莫大な寄進をされて名寺になるケースもあるのですから。

織田家代々と大変懇意であった清玉上人が開祖の「阿弥陀寺」に去年は
行きそびれ、今回は絶対にお参りに行こうと決心していました。

「本能寺の変」の時、事変を聞いた清玉上人は、
いち早く本能寺に向かい、信長の遺骸を引き上げ、
また、二条城で信忠の遺骸を引き取ったと言われています。
また、織田軍の遺骸を百体以上埋葬しそれぞれに戒名を施したそうです。

当初は信長の入洛で莫大な規模の寺領を今の堀川通りに持っていました。

しかしながら、信長死後、権力を握った秀吉が
信長の遺骨を阿弥陀寺が所有していると知り、大徳寺で信長の葬儀を催して、
正当後継者を世間に誇示しようとしたのに対し、
清玉上人は最後まで遺骨提出を拒み、無いと主張し、秀吉は大徳寺の葬儀の
信長の遺骨は木炭でごまかした。
と、言うエピソードがあります。

怒った秀吉は寺領を取り上げ、都市政策の一環で寺町通りに移管させたようです。

大正6年には宮内庁調査により信長公本廟と認定されています。

ここには今回是非とも来たかったのです
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■本堂です。
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■僕は墓所の中を「南無阿弥陀仏」と唱えながら、
信長親子のお墓を探しました。
最初に見つけたのは、清玉上人のお墓です。
何か、地味なお寺で一生懸命探したので
時の最大権力と闘った清玉上人のお墓を見つけた時は感動しました。
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■そして、ついに信長、信忠のお墓を見つけました。
信長のお墓は沢山ありますが、本当の遺骨が納められているのは、ここかも知れません
宮内庁調査とやらの内容は開示されているのでしょうか
歴史的にはその筈です。
感動しました
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■織田家代々のお墓もありました。
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■念願の阿弥陀寺でお参りする事ができて、
近所の社員寮に帰りました。
この日も朝から歩き廻り、心地良い疲労と空腹を覚えました。
夕食までにお風呂に入って愈々、夕食の時間です。
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■焼き物。
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■胡瓜、茗荷、蟹の酢の物。日本酒合います
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■胡麻豆腐。
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■鱈の揚物です。あっさりです
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■2日目はオプションで「すき焼き」です。
最近は社員寮でしか、すき焼き食べて無い様な(汗
しかし、柔らかくて良い肉で最高
やはり、ビールの後は冷酒です。
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■本日も「松竹梅・生酒」です。これマジに美味しい
部屋に帰ってからも。飲み過ぎ(汗)
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■2泊3日の京都探索も終わり、帰りの日です。
昨年は、行きに秀吉が一番最初に信長から拝領した
長浜の城址を見に行こうと思っていたのですが、
大渋滞で12時間も掛かり断念したので、今回は
長浜に行く事にしました。

その前に参道沿いに宿泊していたので、「上鴨神社」に参拝に。
ここは京都最古の神社です。
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■上鴨神社、下鴨神社は京都の鬼門を守る2大神社です。
2社とも荘厳な感じでした。
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■お砂を買いました。
家の鬼門と裏鬼門に捲きます。
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■愈々、長浜城址に向かいますが結構、遠いですね。
京都から100キロ以上です(汗
名神と北陸道を乗継ぎ、約1時間位で琵琶湖の北にある長浜に到着です。

ここが秀吉が信長から最初に拝領し、城を最初に
造った街かと思うと、感慨深いでした。

最初、小浜という地名でしたが、縁起が良くないと
言う事で秀吉が「長浜」に改名した様です。
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■現在建てられた長浜城。
秀吉が桜好きなのか城址の後には、桜の古木が沢山ありました。
「醍醐の花見」を考えると秀吉も桜好きだったのでしょう。
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■城の中は博物館になっていました。秀吉が出した書状です。
しかし、ここには秀吉の貴重資料は少ないです。
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■現在の城の一番最上階からの琵琶湖の眺め。
最初に信長に許されて建造したお城から、この景色を
秀吉と寧々はどの様な気持ちで眺めていたのでしょうか?
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■今回の京都探索は、とっても中身が濃い内容になりました。

趣味の京都+戦国時代探索と、今までに行った事のない、
有名な観光地を巡りました。

今、京都観光で流行っている「龍馬名所ツアー」は、
何処にも行ってません(汗

まだまだ、戦国関連は京都には多いのですが、
幕末とかの京都エピソードを、もっと勉強すれば
もっと京都が楽しくなると思います。

今回も旧本能寺があった場所を特定できず、
まだ課題はあります。

しかし、楽しい京都2泊3日でした。
M3で廻る初めての京都でした